書斎の机の下から現れた隠し階段を、ヴィンツ、春日井、桜井、レイネスは一列に降りていく。 柊夜もそれに並び、一行は、暗い階段を進む。ヴィンツは竹刀を構えている。 「よーしこの下かー行っちゃうぞー」 「先に行きたいけど後ろはまかせろーバリバリー」 埃で微かに滑る階段を注意深く降りていく。地階は真っ暗だ。 この暗闇は、桜井に、ある過去の出来事を思い起こさせる。 伸ばした手の先から溶けていきそうな、暗闇。 そこに、桜井は誰の面影を見るだろう。 「・・・あ、・・・あ」 桜井は急に足を止め、じっと前を見ている。 柊夜は首を傾げ、立ち止まった。 「桜井…?」 「あ、れ、まっ、て、…ねえ、どこ?」 ぶるぶると震えだし、桜井は膝をつく。 「……パパさん?」  「?・・・どしたの?ねえ!」 レイネスは少し大きな声で、彼に声が届くように話しかける。 ヴィンツも、立ち止まって振り返る。 「…どうした?」 「おい!おいどうしたんだよ急に!おい!」 桜井の様子は尋常ではないと思ったのか、柊夜は彼の肩を掴んだ。 桜井はそれに抵抗するように、腕を振って暴れようとする。 「まって、まってくれ、やめろ!やめろ!!」 「ちょ、落ち着けって桜井!どうしたんだよ…!?」 柊夜は距離を取り、桜井をなだめようとする。 ヴィンツは東雲の部屋から持ち出した懐中電灯を点けた。 明かりにより、周囲は完全な暗闇ではなくなった。お互いにぼんやりと顔を見ることができる。 灯りがついた途端に、息が荒いものの、桜井の動きが止まる。 「パードレ!?大丈夫か!?」 「…あ、…ああ、すまんね、ちょっと、さ」 「トラウマ、っていうのかね。…ちょっと、さっきみたいなのが、すごく」 桜井は汗をびっしょりとかき、混乱して、うまく受け答えできない。 「……怖ぇのか?」  「…あー、ああ。そっか、怖がってるんだな、きっと」 柊夜はしゃがみこんで、心配そうにじっと目を見つめる。 「・・・ぱぱん、僕の懐中電灯、使うといいよ」 「……無理しない方がいいんじゃないのか」 「……でも、ここには怖いものなさそうだな。」 心配をかけまいとしたのか、桜井は何とか立ち上がった。 柊夜はきょろきょろと辺りを見渡し、励ましたさで少し焦りつつ、拳を握って言う。 「だ、だから多分怖くねぇよここは。多分。あけてみるまでわかんねぇ、ってやつだ!」 「いいのか?悪いな、うん …もう大丈夫だ、行こう」 桜井は、レイネスから懐中電灯を受け取った。 「……あんまり大丈夫には見えないぞ」 「…気にするなって。大丈夫だ。ほーら」 「……よっし、なら深呼吸してからチョコ食っておいてな、パードレ」 「…ん、ありがとな」 階段の突き当りは壁になっている。 その壁の向こうから、微かな機械の唸りと、誰かの話し声のようなものが聞き取れる。 声に耳を澄ませようとしても、機械の駆動音と思しき音が大きく、はっきりとは聞き取れない。 「誰かいるな…あと、機械がうるさい」 ヴィンツは、もっとよく聞き取ろうと、さらに耳を澄ませてみる。 すると、「・・・・った。藍も納得して・・・・」という言葉が聞き取れた。 それは、間違いようもない、東雲の声だった。 「(スズカケさん…?)  シノノメ先輩はこの先みたいだな…行くぞ」 通路を進むと、水浸しになった広間や、重厚な蛇の彫り物がされた扉が目につく。 扉には鍵はかかっていないようだ。押し開けると、ぎぎぎと鈍い音がする。 室内を軽く懐中電灯で照らしてみると、ダクトや、何かの台、機械が見て取れる。 奥にもう一つ扉が見える。同じく重厚な作りで、彫り物がされている。 部屋の中は、壁や台に血がべっとりついている。 機械は電源が入っているようだ。微かに明滅しているが、何の機械かはよくわからない。 ヴィンツは、さらに、鮮血の散った台のうえに、いくつかの円筒形のものを発見する。 以前、片喰の部屋で見たことがある、円筒形の缶。金属製で、鈍色に、懐中電灯を照り返していた。 「すごい血だな…そっちは何かあったか?」 「…ここの機械電源入ってるみたいだ…あと、これは…」 台に近寄ったヴィンツは、その台が、医術で使われる「手術台」であると気づく。 拘束具のようなものが取り付けられている。さらにこの鮮血だ。何が行われていたのか、想像に難くない。 「電源・・・?」 ヴィンツは、円筒型のそれに手を伸ばし、 ふと、つまみがついていることに気付いた。ダイヤル型のつまみ。 それをぐるりと回してみると、ぽうっと、円筒に灯りが点く。 どういう仕組みになっているのか、今まで金属のプレートのようになっていた表面が空け、その中身を曝け出した。 人の脳髄が、ぼんやりと、浮かんでいる。 その円筒からか、微かな機械音の啜り泣きのような、掠れた音に混じって、 聞き覚えのある人の声が、微かに聞こえた。 次第に声が大きくなり、明確に、人の声として聴きとることがでるようになる。 「………sて……」 それは、機械音にかき消えそうなほどかすかな声。 ヴィンツにはわかる。忘れもしない、つい数時間前まで共にしていた人の、声。 「ころして、おねがい、ころして、ころして、  おねがいします、ころしてください、おねがいします、  ごめんなさい、ごめんなさい、ころしてください、ころしてください、  もうおわってください、おねがいします、おねがいします、  ころして、ころして、ころして、ころして、」 「ころして。」 淡々と、抑揚なく、声は繰り返す。 その声に、桜井は驚いて近づいた。 「・・・?今の、何?皆どうしたの??」 「……いや、いやいや……ありえないでしょ…………彼、死んでたじゃないか、死んでた、よね?」 「・・・いや、ありえない、そんなことは」 「確かに、そうだよ  なのに、あの時なかったもんがここにあって? ふざけんなよ…」 缶は唯、虚ろに喋り続ける。ころして、ころして、ころして。 スイッチを切れば、声は止まるかもしれない。それでも、きっと永遠に。 「……生きてる、のか?」 「え・・・わあ。脳みそだ」 「・・・なんだそれ。ホログラムとか?俺達を脅かそうってのか?  …いや、でも、今までのを見たら嫌でも信じたくはなるか」 「臓器に人格が宿るって話はよく聞くが、これは…」 桜井は、缶へと歩み寄る。 「…君は、鈴掛さんなのか?」 「……ぼく は  ぼく は すzか あo あ ああ あ」 「…っ、なあ、俺がわかるか?俺だ、…いや、私か。私だよ」 「俺もいるぞ、ヴィンツだ、わかるか?」 「わた わたs おれ ぼく ぼくは  ヴぃん つ おれ わた s わた ぼく わた」  言われた言葉を反芻するのみ、かと思ったが。 「sく ら い さ、」 ……それからまた、缶の言葉は、「ころして」「おねがいします」の羅列へと、戻った。 遠巻きに見ていたレイネスにも、何となく事情は察せられた。 「・・・あ、え?そんな・・・」 さらに、缶はそのひとつだけではない。 みっつの台の上に、ひとつずつ。あとふたつの、円筒の缶がある。 柊夜は「まさか」と青ざめながら、他の缶へ駆け寄ろうとする。 「鈴掛さん、少しお話ししていいかな」 桜井は、ヴィンツから缶を奪い取った。 「……頼みます。  しゅうちゃん、ストップ!」 「ッ、な、なんだよだってこれ!もしかしたら…!!」 「……もしかしたら、が最悪の可能性かもしれないことは、分かってるよな」 「わかってるに決まってんだろ!!奴らはそういうやり口だ、だから確かめないと…!」 「……俺も確かめよう。もしそうだとしても、壊れてくれるなよ」 「ッ……」 柊夜はそれには答えられない。春日井が手に取った缶を追う。 「ってかおいてめぇ!ロリコン!どこ持ってくんだよ!」 「……だって柊夜くんが見ても大丈夫なのこれ・・・僕が言えた事でもないけど」 「…もしその『最悪の可能性』が当たりでも、俺はお前を壊させないぞ。  何があってもふん縛って生かすぞ。」 「――――。」 歯を食いしばる。 「……適当な事言いやがって。俺が今どんだけ怖ぇかわかんねぇくせに…。  でも……。まだ、まだ見てねぇ。だから、どうもならねぇ。  ……開けてみるまで、わかんねぇ、だ。」 「わからんさ。わからんから言ってるんだ。  もし、この箱を開けた先が最悪でも、お前は生きると、約束できるか?」 「……。  ……わかんねぇ。約束できねぇ。多分俺は俺が感じたようにしか、なれねぇし、できねぇ。  ……だからヴィンツはヴィンツの好きに、しろよ。  約束してない事でも。ふん縛るとかも、かまわねぇ。」 「……好きに、か。ならお前には生きてもらうよ、何があっても。  じゃないと俺が、そうだな……つまらないからな」 ヴィンツは、ふっと笑う。 「……開けるか?」 「……ダメでなきゃ、俺にやらせてくれよ。その……電源? 入れるの」 ヴィンツに促され、柊夜は缶に近づく。 ひとつ深く息を吐いて、震える手をダイヤルに近づける。 意を決したのか、柊夜はぐるり、と勢いつけてダイヤルを回す。 缶の中身は、空だった。灯りはついたが、その中に脳髄はない。 柊夜は安堵したようにその場に崩れ落ちた。 「おは おhな おはなs」 「ん、おはなしだ。つらいことがあったのかな」 桜井は、ゆっくりと缶に向かって話しかける。 「つr つ つらい こt?  いき てr つら つr い」 「…生きるのが、辛いと?もうなにもかもが辛いのか?」 「………。」  缶は、しばし沈黙してから。 「こわ れ る」 と言った。 「もう も う ぼくは ぼくは ぼくは ぼくじゃ なk な t た」 「…あんたはあんた。鈴掛さんだ。こうして俺と話してるんだからな。  あ、こっちの口調じゃわかんねえか?」 「あ たは んた すz かけ ぼく ぼく?」 「そうだ。あんただ。あんたはちゃんと、こうして意思を持ってるじゃないか」 「……。」 缶はまた少し沈黙する。「さ kら い さ、」 「なんだい?」 「さく rい さ おhな し ぼk できた できてr」 「やs し さく r いさ」 「でも もう すg おわ r」 「ぼk は もう すg」 「いま n ぼく も なk なる k ら」 「…それならさ、」桜井は、真剣な声音で問う。「どうすれば、助けられる」 「ころ して」 缶は言う。さっきまでより抑揚が、あるような気がした。 「ぼkが bkじゃ な k r ま eに」 「こr して さ kら さ」 「あんたがあんたじゃなくなるって?これから何かが起きると?」 「なく なr」 「なに m なk nる」 「nにも わかr なk なる」 「こ え kけ なk なr」 「……iやだ…」  たどたどしかった言葉が、急に声らしくなった。 「いやだ いやだ いやだ よぉ こわれてく こわれてくのは いやだよぉ……!」 柊夜は、深く安堵していたが、缶はもうひとつあることを思い出したらしい。 缶を抱えている春日井を睨んだ。 「それ……寄越せよ。」 「……(困ったようにヴィンツを見る)」 「俺からも頼むよソマレさん。何かあったら、そうだな…  しゅうちゃん後ろからぶん殴って止めるから」 ヴィンツはおどけて竹刀を振り回す。 「お前それで殴る気じゃねぇだろうな……。ま、かまわねぇか。もし……  もし、その、それが、そうだったら、……とにかく寄越せよ。」 「…………頼むよ、何かあった時には」 春日井はそう言いながら、缶を元の位置に戻した。 「任せろって」 柊夜はその缶へ向き直り、先ほどと同じように深く息を吐く。 何かに祈るように、胸元を拳で握りしめたまま、そっと、ダイヤルに手をかける。 かちんと、まわるダイヤル。 その中には、揺蕩うように、脳髄が浮かんでいた。 柊夜は無表情のまま、がっくりと床に膝をついた。 鈴掛の缶を点灯させたときのように、機械の啜り泣きが聞こえてくる。 そして、その隙間を縫うように、人の声が。 その声が耳に届くや否や、柊夜は立ち上がって缶を掴んだ。 「陣じゃないッ……!!!!」 次第に声は明瞭に聞き取りやすくなる。その声は、女性だった。 「なんということでしょう」 缶は歌うように言った。 「なんとすてきなこと。なんとすばらしいことなのでしょうか」 「あらあらあなたたちはだれなの? かみさまのおつかいかしら?」 「すてきなこと。すてきなこと。いまにわたしも行けるのね」 「あの星へ、行けるのね。」 それきり缶は人の言葉を話さず、意味不明な音の羅列で歌い始めた。 「……ぼくも ああ なる」 ぽつり、鈴掛が喋る。 柊夜は思わず、手に取った缶を手放した。 ずるりと床に落ちたそれは、がしゃんと甲高い音を立てて、砕けた。 「おねがい おねがい します さくらい さん さくらいさん」 「ぼくが ぼくの うちに どうか」 「どうか」 「……」 桜井は、呆然としたまま立っている。鈴掛の缶を持ったまま。 「あっ……えっ、これ、えっ、やっちまったかこれ……?」 「……とりあえずしゅうちゃんは悪くないよ」 「・・・うん、僕もそう思う。・・・そうした方がよかったのかもしれない」 砕けた円筒の入れ物は、もう発光していない。 最後に、一言だけ、「すてきね」と言った。 「…なあ、俺は、どうしたら、いいんだ」 「……」 ヴィンツは、女性の脳からそっと目を逸らした。 「ぱぱんも・・・その、すずかけ・・・さんがお願いしてるなら  ・・・割ってもいいと、僕は思うよ」 「……きついなら、俺がやるか?  多分パードレよりは、人の生死が自分の手に、って状況には慣れてるけど」 「……ころして。」 少しだけ光が射していた精神は、また曇ってしまったのか。 壊れたテープのような話し方に、缶は戻った。 「ころして、ころして、おねがいします、ごめんなさい。」 「…なあ、本当に、ああするしか、ないのか  この人は、友人を、探してただけだ。それなのに、…くそっ!」 「……あの脳を、脳がえぐられた死体に戻して、スズカケさんがもとに戻るとは思えない」 「……パパの気持ちもわからなくもないけれど、」 「…それなら、最後に約束させてくれ。  あんたとの依頼は、完遂させる。  これも、あんたの、依頼のひとつか?本当に、そうしてほしいのか?」 「いらい かんすい やくそく いらい いらい」 鈴掛は、桜井の言葉を反芻する。 そして少し間を置いて、一言言った。 「いらい。」 「…もう一つ聞こうか。  東雲を、どうしたい。」 「sの め」 「しのの め たす けて」 「…助けてほしいんだな、あいつを」 「しののめ くらいよ こわいよ いっしょ」 少し言葉が戻ってくる。 「しののめ いこ うよ そと おまつり」 「あそ ぼうよ しののめ そと そと」 「しののめ しののめ」  虚ろな繰り返しは、次の一言で終わった。 「どうして。」 沈黙した空間に、大きな音が響く。地鳴りのような音。 ごごごご、という低い呻りの音は、やがて止んだ。 「なっ・・・!?」 「い、今のって・・・」 「……時間なさそうだな」 柊夜は、奥の扉を睨んでいる。 「しnぉうt」 「さk らい さwylkぽうぱwkたうぃう」 「kはwpklたwぴうはおわり おわりに」 「ぼk をkjはぴおうtぱいおわ おわりに」 「…わかった。伝わった、ごめんなさい、すまん、すまない、  絶対に、あんたの願いを完遂させてやる!」 桜井はその言葉を最後に、缶を勢いよく落とした。 缶は砕け、中の液体が溢れだす。灯りがつうっと消える。 意味不明な言葉の羅列は、もう聞こえない。最後にぽつり、一言だけ聞こえた気がした。 「ありがとう。」 「…行くぞ。もう充分振り返っただろ。  もう覚悟は決めたはずだろう!」 奥へつながる、扉に手をかけ。 開けた瞬間、視界に鮮血が散る。 ぶしゃっ、と舞ったそれは、びたびたと、うねる石像へと降り注ぐ。 東雲がいた。 誰かの頭に食い込んだ鉈を、その誰かを踏みつけて引き抜く。 そして、君たちに気付くと、東雲はわらった。 「丁度いいところに来てくれたな。 もうそろそろ初めてしまおうかと思ってたんだ。間に合ってよかったよ。」 返り血で真っ赤に汚れた東雲は、屈託なく笑って見せる。 片喰は、うねる石像の前に、祈るように跪いている。 広間の中心には、石像が立っている。 レイネスは気付いた。バルコニーで調べたあの像が、地下まで伸びていたらしい。 像を中心に彼らを囲むように、死体が点々と、10、転がっていた。 第11回へ続く