探索者たちが蛇籠邸を脱出したのは、既に夜も更けたころだった。 バスはもう無く、とりあえずタクシーを呼び、からがら逃げ出した、といった所だ。 東雲はその日から目を覚ましていない。現在は東羅大学病院へ入院している。 柊夜は片喰が連れて帰ったが、別れた時にはまだぐったりしていた。 鈴掛については、警察へ通報も行ったが、警察では死体を見つけることができず、さらに、蛇籠邸も、何故か見つからなかったという。 全員、一応の事情聴取を受けたものの、注意をされた程度で、特に御咎めはなかった。 病院屋上、屋上のフェンスにもたれかかって街並みを見るヴィンツ。 「…とりあえず、あの子が元気で、カタバミさんも良くなって、御の字…なのかねぇ。  シノノメ先輩、起きたところで……いや、俺が言う話じゃねえな。  ……俺が口出しできる領分じゃねえ」と言いつつ、懐から煙草とライターを取り出す。 封を切った形跡のない新品を開け、一本吸って、盛大にむせる。 「……俺には、なぁ」 煙草とライターを全部ゴミ箱に投げ込む。 「捨てんのかよ。もったいねー。」 気が付くと、後ろに柊夜がいた。フェンスにもたれ掛っている。 「てゆーかお前、煙草吸うんだな。」 「いたのか…思い立って吸ってみただけだよ。めっちゃむせたけど」 「ふーん……?」じー、とその様子を見て何か思ってる様子。 「普段、吸わねーの?お前もうとっくに大人なんだし吸っていいんだろ?」 「あー。そういう習慣はなかったし、特に吸おうと思わなかったしな。  吸わなくたっていいだろ。金かかるし身体に悪いしな」 「ふーん。その割には一人でぼーっとしてる時には吸ってみたりすんのなー。」 責めている口調ではなく、ただ不思議そうな声色。そして一歩近づいた。 「……こないだもぶっ倒れる前にちょっと思ったけど。なんつーか、さぁ。」 「な、何だよ」 ヴィンツは少し居心地が悪そうだ。 柊夜は懐から煙草を取りだす。中から一本取り出し、ヴィンツへ渡した。自分も一本口に咥えてライターを取りだす。 「吸いたいなら吸えばいんじゃね?  なんかガイジンっぽいことしたい時はすりゃいいし、そうでもねーときはそうでもねー風にしてりゃいんじゃね。  何してたってヴィンツはヴィンツだろ。変なカッコつけてんなよ。」 そして火をつけてすぅっと吸って、盛大に噎せた。 ヴィンツは貰ったタバコを持ってひとしきりぼーっとした後で、一本咥えて。 「火、くれよ。さっきライター捨てちゃった」と言った。 「ゲホッゴホッ……ッしゃーねーなぁ、ちゃんと返せよ?」 ライターも投げ渡す。 「ったく大人なんだから自前でちゃんと買えよなーイシャだろー?」 「さっき捨てたばっかなんだよ勘弁してくれ」と笑いつつ、火つけて盛大に噎せる。 「うっわなにこれまっず!さっきの比じゃねえぞ!」 噎せながら笑うヴィンツの様子を見、柊夜も思わず噴き出す。 「……だっせ。確かに似合わね。でもなんかお綺麗な時より面白ぇや。」と、くっくっと笑った。 「だから俺には似合わねえんだって。…ありがとな」 「……そりゃこっちの台詞だっつーの。」 柊夜はそう、小さく呟いて、 「あーーーやっぱシケちまってクソまじぃ。また買い直すかーー。」などと言いながら、踵を返して屋上を後にする。 「シケてるってこれいつ買ったやつだ! お兄ちゃんはしゅうちゃんをそんな子に育てた覚えはないぞー!」 ヴィンツもその後に続いた。 その日の夜。 いつも営業していた桜井のバーは、いつも通り営業している。 けれど、店主はいつも通りとは限らない。 他の客に酒を出したあとで、店主はとあるカウンター席の前に立つ。何故か酒と通しのナッツだけが、その席には置いてある。 椅子には、誰もいない。 「そんなに気に入らない?これ。」 桜井ため息をつきつつ、空席に向かってしゃべります。 「そろそろ飲んでくれてもいいのに。一口だけでいいから。ほら、これはココの一番人気のヤツなんだよ  鈴掛さんも気に入ると思うのになあ。ほら」 グラスを小突くものの、ただ時間とともに氷が解けていくだけ。 「ねえ、一口だけでいいの。飲んでみなよ。そうすれば、少しは気が晴れると思うからさ、ほら  ね、…そうでないと、……ずっと、そんな顔したままだよ?」 桜井 飛鳥:それは誰に向けた言葉なのだろうか。それは本人すらも、わからない。 春日井は、詰草書房を訪れていた。 立ち読みを繰り返し、「買えよテメー」とはたきで小突く柊夜を無視する。 「買うときは処女童貞もとい新品で買う派だから」 「買わないなら読むんじゃねぇ」 その横から、片喰が声をかける。 「いい本は、見つかったかい?」 春日井は立ち読みをしていた本から(ようやく)視線を変え、「えぇまぁ、」と呟いた。 「あんまりこうやって普通の本を読むことはなかったんですけれど、まぁたまに読むのはいいですね」 「俺は本は大好きだよ。どこへも出かけられなくても、好きなように旅に出られるからね。  いや、済まないね、邪魔をしてしまって。やっと思い出せたものだから。」 片喰は、春日井に紙袋を差し出す。 そこには春日井が東雲に貸していたAVと、別のAVが何本か入っていた。 「東雲がここを訪ねてきたときに置いて行ったんだ。自分ではもう返せないだろうから、と言っていた。  もっともその時俺は返す相手のことさえ覚えられない状態だったけれどね?」 片喰は茶化すように言った。 春日井は袋の口を閉じて ぎゅっと両手で抱きしめる。 「……僕はこのご恩は決してナニガアッテモワスレマセン・・・(色んな気持ちが混ざった半泣き)」 ついでに今読んでいた本と、その辺の同じ作者の本をかき集め、会計を申し出る。 「東雲はいい友人を持ちましたね・・・」 「だろ?? しゅうちゃん今日はお肉だぞーーー会計してやってくれ」 静かな病室。なかなか目を覚まさない東雲を見つめる人影が一人。 「はーぁ、せっかく連れて帰ったのに、せんせーが起きなきゃ意味ないじゃん!」 ぶうぶうと愚痴を漏らすレイネス。ヴィンせんせーに浮気するぞだの、医療費返せだの、訳の分からない事を大声で話している。 それでも身動ぎもしない東雲先生を見て、レイネスは俯き、小さくため息をつく。 「せんせー・・・せんせーが起きなくなったのって、僕のせいなの? 僕が蹴ったから、こうなっちゃったの?  それとも・・・帰りたくなかったから、いつまでも起きないの?」 僕のせいで。 ぼそりとそう呟いたが、すぐにその一言を振り払うように首を振る。 「・・・あー!!こんなはっずかしいこと言ってもまだ起きないし!!馬鹿なの?せんせー馬鹿なの?!!」 その声は虚しく病室に響き渡る。しかし、先程と違いレイネスは笑みをこぼした。 「やーめた。鬱々してても何も変わらないんだし。・・・せんせー、僕、せんせーが起きるまで待ってるから」 そう言うと、右腕を吊るす三角巾に手を伸ばす。そして、 慣れた手つきで三角巾と包帯を解いた。とっくのとうに完治している右腕を、東雲に差し出す。 「せんせーが起きるまで、前向いて進むから。」 忘却の森 完