続く部屋へ立ち入った探索者たちは、その部屋に、今までの部屋にはなかった生活感を覚える。 小さな書き物机、ベッド、ベッドにかかったシーツに乗った本……。 この部屋には、つい先ほどまで、誰かが居たような気配がある。 無造作に投げ置かれた上着に、ヴィンツと春日井は見覚えがあった。 「……シノノメさんのじゃねえか」 ヴィンツは、上着をひょいと持ち上げた。 そこには、もう渇いてはいたが、血がべっとりと付着し、上着はざっくりと裂けていた。 さすがに医師であるヴィンツを驚かせるほどのものではなかったが、 もしこれを誰かが着ていたのなら、その誰かが深手を負ったと考えるのが自然だろう。 桜井は、先ごろ入手した、漆黒の表紙の本を手に取る。 以前見た、鱗紋の手記の中に、「黒の書 290頁」と書かれていたことを思い出したのだ。 開いてみると、290頁には、大きな挿絵が入っていた。 黒く、うねる何かが描かれた版画だ。 周りに描かれているのは針葉樹のように見える。 それが正しいサイズ比だとしたら、その黒いものはとても大きい。 続くドイツ語の記述を、桜井は慎重に、鱗紋の手記と突き合わせていく。 「********の招来 血液12人ぶんを必要とする。石でできた祭壇を必要とする。  新月の夜を必要とする。彼女に信仰と祈りを以て。」 あとの部分はドイツ語ですらないのか、読み取ることができない。 「招来・・・・・・・・血液12人分・・・!?なんだこれ、生贄でも捧げて誰かを招こうってのか!?」 「生贄だと…!?」 桜井の声に、柊夜は驚いたように顔を上げた。 レイネスも、桜井へ近づく。 「…いや、そもそも生きてるかもわからねえか。 とにかく、新月の夜、12人分の血液を使って、誰かを招く・・・ …つーか、また”彼女”か。」 「……血液…血液っておい、まさか陣は…!!」 「……ちょっと、急がねえとまずいっぽいな…!」 「しゅうちゃん、まだそうと決まったわけじゃないよ!」 「ッ……そう、だよな、まだ、まだ…。」 焦る柊夜を、レイネスが宥める。 肩をぽんぽんと叩かれ、何とか堪えたようだ。 一方春日井は、ベッドの上に置かれていた本を手に取っていた。詩集だ。 ぱらぱらと捲ってみると、栞がわりに挟んでいたのか、紙切れが出てくる。 東雲の筆跡で書かれたそれを見るのは、4枚目だ。 「彼らに救われて、ずいぶん過ぎた。もう体も、何不自由なく動かせる。  いつまでも客分でいるわけにもいかないので、協力を申し出た。  彼らは、何かの儀式を行うためにここへ来たらしい。  そして偶々、俺を見つけてくれた。  できる限りの支援をして、恩返しをしたい。  彼らの心に適うことであれば、なんでもしてやりたい。」 柊夜は、メモを覗き込んで、 「……陣だって助けたのに。」と、ぽつりと言った。 ヴィンツは、部屋の隅からリュックサックを見つけた。 登山に使うような、がっしりした作りのものだ。中には懐中電灯が収められていた。 東雲の私物だろうか。ヴィンツは、懐中電灯を手に取った。 さらに次の部屋は、なんとなく、女性の部屋ではないかと感じられた。 小物類が品よくまとめられている。飾り棚には、枯れているものの、植物が飾られている。 やや小ぶりのベッド、机。机のわきには本棚が置かれている。 ヴィンツは、ベッドを調べていた。ふと除けた枕の下から、一枚の写真を拾う。 やわらかく微笑んでいる女性と、少年が映っている写真だ。 その少年には見覚えがあった。先ほどビデオで見た、幼い頃の柊夜だろう。 写真は擦り切れてしまっているが、彼女の腕に抱かれているのはまんざらでもなさそうな柊夜の様子は、よくわかる。 肌の白い女性と、柊夜は似ていない。けれど彼女は、柊夜の母親ではないだろうか。 柊夜は別の場所を調べていたが、ヴィンツは、柊夜を呼んだ。 「ん?」 「……あんまり、見たいもんじゃないかもしれないけど  ……この女性は、誰かわかるか?」 「…………。」  柊夜は、少し表情を暗くした。 「……母親。」 「この人、今は……」 質問を途中で詰まらせたヴィンツに、柊夜はぽつりと答える。 「……あいつに殺されちまった。  俺なんか産んだせいで最後までいっぱい怒鳴られてて……ばかなやつ。」 「……  ……悪い、変なこと聞いたな」 柊夜の頭をぽふぽふと撫でるヴィンツ。 柊夜も、もうその手を拒むようなことはしない。 「……んだよ。別にさみしいとかそんなねぇっての。  そもそもあんま会ったことねーし。」 「……そうか」 ふと、ヴィンツは写真の裏を見た。 「しゅうちゃん ごめんなさい」 綺麗な女性の字で一言、そう書かれている。 「いつまでやってんだよ、俺探し物してくるからなっ」 探索に戻ろうとした柊夜に、ヴィンツは、そっと、その文字を見せた。 これ以上見せてどうするんだ、と軽く睨む柊夜は、文字を見て目を瞠る。 「…………これ。」 両手で写真を持ち、まじまじと、見つめる。 「……やっぱこいつ、ばかだよ。  ごめんは、俺の方だ。」 「……そうか。  強い子だな、お前は。  いや、子、でもないな。お前は強いな」 「っ、な、なんだよ急に。」 驚くものの、強いと言われて悪い気はしないらしい。 「……よっし、他探すか!急ぐぞ!」 「べ、別にそんなんじゃねーし。  おら油売ってる場合かよ。俺も探し物してくるからなっ」 と、駆けだそうとして、写真を持ったままだったことに気付いたらしい。 柊夜は、ベッドに写真を置いた。 「持っててもしょうがねぇし!!!」 「…ほんとに、強いな」 ヴィンツは、写真を拾い上げた。 春日井は、本棚を調べていた。詩集が並んでいる。 どうやら、東雲はここから、本を持ち出したらしい。 レイネスは、机の抽斗を開けてみた。 そこには鍵が、ころんと入っていた。握りの部分は木製で、蛇が彫り込まれている。 「あった!鍵、あったよー!」 「本当か!」 「ぬー、なんか蛇っぽいものがほりほりされてる・・・  これ、書斎の鍵であってるかなあ?」 「! まじか鍵あったか!!」 「それっぽいな。となるといよいよ突入、か?」 一同は、書斎へ向かう事に決めた。 階段を降り、書斎へ行く途中、ヴィンツはそっと、持ってきていた竹刀を手に取った。 そっと書斎の鍵を開ける。 黴臭い、埃臭いにおいとともに、軋みながら扉は開いた。 が、そこには人の気配がない。 「せんせ・・・あれ?」 「…!?」 電灯を点けると、書斎、というだけのことはある、大きな本棚が壁一面に備え付けられている。 奥には書き物机がひとつ、さらにその上に電話機がひとつ。 電話機の横には、一冊の本が置かれている。 部屋は行き止まりだ。では、東雲はどこへ行ったのだろう? ヴィンツは、電話機の受話器を手に取ってみた。 音はしない。しかし、光っているパネルには、文字が表示されている。 「シンゲツ」 という文字と、数字が6つ。 適当にプッシュを押してみると、数字を3つ押したところでアラート音が響いた。 数字が間違っていたのだろうか。文字の表示の横に、鍵のアイコンがチカチカと点滅している。 さらに6つの数字の並びも変わった。 492 357 ___ アラート音に驚き、皆ぞろぞろと集まってくる。 「今すっげぇ音したな何したんだ?」 「何からだ?…電話?」 「……適当に押したら鳴っちまった…なんか鍵アイコン出てるしやばそう…」 「どうして適当に押しちゃったの……・ω・」 「うわっ、せんせーこれアカンやつ・・・」 「ごめん…」 「……なんだこれ。押せばいいのか?」 「気持ちは分かるけどちょいまちしゅうちゃん・・・!!」 「いや待て待てうかつに触るな!・・・これは暗号か何かか?」 「うおっ!?んだよ駄目なのかよ。」 春日井は、机の上にある本をぱらっと捲った。 その頁には、「真に想うものへの呪文」とある。 呪文の短い音節と、呪文の効能が書かれているようだ。 「この呪文によって齎されるのは、対象が「真に想っている」ものの答えです。  本人も無自覚な、本当の想いに気付かせるものであり、自白を強要するようなものではありません。  ただ、想い、問いかければよいのです。そうすれば、自ずと答えは返るでしょう。」 春日井は、皆に本を見せた。 「電話なんだよあれ全っ然わかんねぇ……そっちなんかあったかよ?」 「呪文とか書いてある・・・`・ω・´」 「呪文?えーと……に……っている……読めねぇ。」 「要約すると、相手が本当はどう思っているのかわかる、ってとこかなこれは」 「そういうことだな」 「うーん、電話のヒントじゃないのかあ・・・」 「本当はどう思っている……。」 柊夜は、桜井の言葉を反芻した。 そしてはっとしたように、顔を上げる。 「……なぁ!なぁ桜井!これって…!!」 「ん?」 「これ、これってさ、陣に、効くか…!?」 「…片喰さん?何で?」 「だってだって陣、でかいばけものに、ニセモノで愛するって言ったから!  ニセモノじゃない気持ちがわかるのかなって!」 「…なるほどな。生贄になるには対象を想うことが必要、  「真に想うもの」が別にいるなら…生贄にはならねえな」 「……あ、でも…」 勢いつけてそう言ったものの、柊夜はしゅんと顔を伏せる。 「……ほんとにあのバケモノが大好きだったら、駄目なのか…。」 「…いや。いいアイデアだぞ」 「え…?」 「この言葉を覚えておくといいぞ。『開けてみるまでわからない』だ。  ・・・どちらにせよ、これは必要になるかもしれない」 「開けて、みるまで……。」 柊夜は、真剣な顔でごくりと唾を呑む。 ヴィンツは、その頭をぽんと撫でた。柊夜は目を瞠る。 「少なくとも、生きることを望まれたんだから…お前は愛されてるよ」 「俺……?  ……わかんねぇ。俺、迷惑しかかけてねぇよ。陣の大事なもの、いっぱい、奪ってばっかりだ。」 「……でも…」  柊夜はぐっと、拳を握った。 「誰が相手でもいい。あのバケモノじゃないのなら。陣がこっちに戻って、これるなら。」 「……来れるさ、お前が望むならな」 「…!……おう!」 頭を撫でるヴィンツに、うれしそうに笑う。 「染さん、それ持っててもらっていいかい?使う時が来るかもしれない」 「ううん、やっぱり持ってたほうがいいかなぁ・・ちょっとおっかないけど」 「まあ、不安だったら写真とっとけ写真。写真はいいぞー、証拠の保存にぴったりだ」 春日井は本を手に取った。いざとなったら角で殴れるし。 「・・・さて、問題はコレか  浮気調査や人探しなら得意なんだけどなあ…」 桜井は、じっとパネルの数値を覗き込んだ。 ふと、これは「魔方陣パズル」ではないかと閃く。 縦、横、斜めの数値を足した結果が同じ15になるというパズルだ。 その要領で考えれば、8、1、6が答えだと導き出せる。 「…もしかして…」 桜井はメモを取り出した。ぱぱっと書いて、メモを見せる。 「…コレか?」 「!? え、なんかよくわかんないけどすげぇ。(ぽかーん)」 「……それっぽいな!」 「分からないけどそれっぽい!」 「…自信はねえが、やってみるか…」 桜井がプッシュを押すと、3つめの6が押された瞬間、ピピッ、と軽い音が響いた。 「シンゲツ」が「マンゲツ」に変わり、低く鈍い音を立て、机の下の床が動いていく。 「っ!?…変わった!?」 床の下からは、地下へと続いている、階段がぽっかりと、口を開けていた。 「…こいつは…もしかしなくても」 「……行けそうだな」ヴィンツは、竹刀を握り直す。 「…あいつ、ここから逃げたのか…!」 「おー!!」 「……それにしても、探偵って本当にいるんだ…。」 柊夜は、桜井を尊敬する眼差しで見つめている。 階段の奥から、湿った風が吹いていた。 第10回へ続く